浦和地方裁判所 昭和56年(ワ)32号 判決 1983年5月30日
原告
大河原時江
訴訟代理人
石川博光
広瀬正晴
松下祐典
被告
波多野修一
訴訟代理人
宮澤洋夫
主文
被告は原告に対し金七〇万円及びこれに対する昭和五四年七月一八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
この判決の第一項は仮に執行することができる。
事実<省略>
理由
一事故の発生
1 原告主張の日時場所において被告運転の被告車が原告運転の原告車と衝突して、原告が右季肋部打撲の傷害を受けた事実は、当事者間に争いがない。
2 そして、1の争いのない事実と、<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 事故発生時には雨が降つていた。
事故発生場所は、南北に通ずる幅員6.8メートルのアスファルト舗装道路と、これに西方から丁字型に交わる幅員5.2メートルのアスファルト舗装道路との交差点であり、後者の道路には交差点の手前に一時停止の標識が設けられていた。
(二) 原告は、原告車を運転して交差点を南方から北方へ向かい直進しようとした。
(三) 被告は、被告車を運転して西方から交差点に差しかかり、交差点で右折して南方へ向かおうとした。
(四) 被告は、交差点の手前で一時停止したが、左右の見通しが悪かつたので、徐行しながら交差点に接近した後、右折を開始しようとしてハンドルを右に切り、被告車の前部を交差点に進入させた。なお、被告車は、長さが4.21メートル、幅が1.61メートル、高さが1.39メートルであつた。
(五) その時道路左側を進行してきた原告車がそのまま交差点に進入して直進し、被告は、これを認めて直ちに急ブレーキを掛けたが、間に合わず、原告車の前輪が被告車の右前部に衝突して、両車は、衝突部位がかみ合つたまま停止した。
(六) 原告は、衝突の衝撃で原告車の腰掛から前方にのめり込み、腹部をハンドルに打ち当てた。
(七) また、被告車は、右前部バンパー及びフェンダーが凹損し、原告車は、前部の籠が凹損して、左ハンドルが曲がつた。
二原告の傷害の内容及び程度
1 伊奈中央病院
<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 原告は、昭和一六年六月一〇日生まれの女子であり、昭和三八年に准看護婦の資格を取得して、昭和五〇年から伊奈町大字大針八八六番地二所在の伊奈中央病院に准看護婦として勤務していた。
(二) 原告は、昭和五四年七月一八日事故発生後直ちに事故発生場所から伊奈中央病院に収容され、レントゲン撮影(腹部二枚・右肋骨一枚)、検尿等の検査を受けた後、ラクトリンゲル等の点滴及びゼノール湿布を施されて、同病院に入院した。
(三) 原告は、入院時に脇腹の疼痛を訴え、同日から七月二六日までゼノール湿布を受けた。また、原告は、七月二五日に気分不良を訴えて、血液検査(一般・血沈・肝機能・腎機能等)を受け、七月二六日には頭痛を訴えて、スルピリンの注射を受けた。原告の腹部の痛みは、八月三日ころ軽度になつていたが、原告は、八月一四日午後一一時三〇分ころ、発熱(三七度三分)して、「お腹がごろごろ鳴り、心配なので点滴してほしい。」と申し入れ、その日三本目の点滴を受けた。次いで、原告は、八月一五日朝嘔気を訴え、気分的に落ち着かない様子を見せたので、担当医から新井病院で受診することを勧められ、同日午前一〇時三〇分ころ新井病院に移つたが、診察の結果そのまま同病院に入院することになつた。
(四) 伊奈中央病院の担当医は、原告の傷病名について「右季肋部打撲及び腹腔内出血の疑い」と診断した。
2 新井病院
<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 原告は、同年八月一五日久喜市中央二丁目二番二八号所在の新井病院(代表者医師訴外新井洋太郎)で診察を受けた。
その際原告が腹部の疼痛を訴えたので、担当医は、内臓損傷の疑いがあると診断し、原告を入院させて精密な検査をすることとした。
(二) 新井病院では、八月一五日にレントゲン撮影(胸部)、検尿、血液検査(各種)、脂質検査等を施行し、八月一六日に胃部及び廻盲部のレントゲン撮影等を施行するなどして検査をしたが、その結果原告の内臓に異常を発見することはできなかつた。
(三) そこで、原告は、八月一七日新井医師から、「異常がない。」と説明を受け、喜んで新井病院を退院し、自宅に帰つた。
3 伊奈中央病院
<証拠>によれば、原告は、同年八月一七日から伊奈中央病院の内科に通院するようになり、同月一八日、二〇日、二一日、二二日、二三日、二七日、二八日、九月一日、三日、四日と通院して投薬等を受けたが、その間八月二一日には胆のうの造影撮影を受けても、なお腹痛を訴え続けたので、担当医は、八月二八日ころ開腹手術を要するかも知れないと考えるに至つた事実を認めることができる。
4 草加市立病院
<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 原告は、伊奈中央病院に通院中、草加市立病院所属の医師の診察を受けていたが、投薬等を受けながら腹痛、嘔気等を訴え続けたので、開腹手術をする必要があると診断され、同年九月五日草加市金明町三五四番地三所在の草加市立病院に入院した。
原告は、同日の朝から絶食し、同日午後零時一五分同病院に入院した。
(二) 担当医師訴外川嶋淳は、術前に慢性虫垂炎と診断して、九月五日午後二時〇九分から午後二時三六分にかけて執刀し、術後に急性虫垂炎と診断した。
川嶋医師は、型に従つて虫垂の切除手術を施行したが、右の傷病と交通事故との間に因果関係があるか否かは不明であると判断した。
(三) 原告は、九月一一日腹部等の激痛が消失したと説明し、九月一二日創痛もなく、気分が良好であると言つて、草加市立病院を退院した。
(四) 原告は、九月一七日同病院に通院して診察を受けた。
(五) 原告は、九月二七日同病院に再入院し、右側腹部鈍痛、右側背部鈍痛、めまい、嘔気、全身倦怠感等を訴えた。
同病院では、原告に対して諸種の生化学検査、血液検査、尿検査、抗原検査等を行い、胆のう等のレントゲン撮影を行つて、諸種の投薬を試みたが、原告の訴える症状は容易に好転せず、原告は、一〇月五日ころみずから開腹手術をしてほしいと申し出た。
同病院では原告の傷病名を慢性胆のう炎と診断し、治療を継続していたが、原告の訴える症状が次第に消失するに至つたので、軽快したものと診断し、原告は、一〇月一七日同病院を退院した。
(六) 原告は、一一月五日同病院に通院して胸が苦しくなつたと訴え、一一月七日にも通院して、それぞれ診察治療を受けた。
5 伊奈中央病院
<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 原告は、草加市立病院を退院して、同年九月二〇日、二二日、二五日に伊奈中央病院に通院し、診察治療を受けた。
(二) また、原告は、一一月六日、八日にも同病院に通院して、診察治療を受けた。
6 毛呂病院
<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 原告は、同年一一月九日午前一一時三〇分ころ、夫の訴外大河原頼房に伴われて与野市大字与野一〇四四番地所在の毛呂病院大宮分院に入院した。
(二) 原告は、入院時に幻覚妄想・緊張性興奮状態にあり、同病院において諸種の検査を受け、投薬等の治療を受けたが、未分化な不安感・焦躁感・危機切迫感等を示し、不眠・不穏・拒薬等の状態を継続していたので、入院後三、四箇月を経て、全体の症状から精神分裂病に陥つていると診断され、諸種の治療を受けた。
(三) 原告は、昭和五五年八月ころから徐々に落着きを見せるようになり、自宅でも自分で服薬できるようになつたが、やがて自宅において日常生活を送り、かつ、家事労働に従事することもできる状態にまで回復したので、担当医師の許可を得て、同年一〇月三一日同病院を退院した。
(四) その後原告は、一箇月に一日又は二日の割合で同病院に通院し、薬物療法及び精神療法を受けている。
7 事故との間の因果関係
(一) 草加市立病院
事故の態様は、前記一の2に認定したとおりであり、<証拠>によれば、原告は、原告車を時速二五キロメートルくらいで運転しながら交差点に進入し、直進中の状態で原告車を被告車に衝突させた事実を認めることができる。
また、原告が昭和五四年七月一八日から同年八月一七日までの間に伊奈中央病院及び新井病院において診察・検査・治療等を受けた状況は、前記二の1及び2に認定したとおりである。
すなわち、原告は、衝突の衝撃で腹部をハンドルに打ち当て、右季肋部打撲傷を負つたのであるが、衝撃によつて内臓に損傷を受けることはなかつたものである。新井病院では開腹して検査したものではなかつたが、前記二の4に認定したとおり草加市立病院で単に虫垂の切除をしたにとどまつたことに照らしても、内臓には異常がなく、「腹腔内出血」は生じていなかつたものと認めることができる。
前記二の1、3及び4に認定したとおり、原告は、伊奈中央病院に入院中のころから腹痛を訴え、それが長期間に及んだため、草加市立病院の担当医は、慢性虫垂炎と診断して開腹手術を行い、虫垂を切除した後に急性虫垂炎と診断したのであるが、その症状がどのような事情の下に発症したのか、その原因は不明である。また、原告は、開腹手術を受けて一週間後に退院し、その二週間後に再び同病院に入院したのであるが、同病院の担当医は、諸種の検査をして慢性胆のう炎と診断したものの、開腹手術を重ねて施行することはせず、原告は、軽快して三週間後に退院した。
したがつて、原告の右のような受傷時の状況及び症状等に照らせば、原告が草加市立病院において診断治療を受けた急性虫垂炎及び慢性胆のう炎については、これが衝突の衝撃に起因して生じたものと認めるのは相当でなく、事故との間に相当因果関係があるものと認めるのは相当でないというほかない。
(二) 毛呂病院
(1) <証拠>(宮本忠雄著・精神分裂病の世界)には、次のように記述されている。
ふつう分裂病は躁うつ病とともに「内因性」の精神病とみなされている。
他方、分裂病の原因論から排除されてきた外因や心因にしても、いちがいに無視するわけにはいかない。……ある心理的な体験が原因であるといえるためには、体験と発病との時間的なつながり、体験と症状との平行関係、体験と症状との主題的一貫性などの諸条件が満たされなければならないが、そういう場合はけつして多くはない。
いずれにせよ、現在の段階では明らかに原因と判定できるものはないが、それに近い条件は、(1)本人自身にかかわる要因として、年齢・気質・体型・遺伝など、(2)本人をとりまく環境要因として、家庭・職場、社会など、(3)発病に直接かかわる要因として、心理的体験や身体的契機などの三方面に配列され、それらの有機的なむすびつきが発病に関与するというふうに考えておくのが穏便だろう。
(2) <証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
原告は、祖母の許で甘えながら育てられ、小学校及び中学校時代に二度火事に遭遇した(自宅から出火)。原告は、中学校卒業後家事手伝いなどに従事していたが、二一歳のころから看護婦学校に通学して准看護婦の資格を取得し、病院に准看護婦として勤務した。原告は、二四歳で大河原頼房と婚姻し、同人との間に二女一男をもうけたが、長女(第一子)を妊娠したころ勤務を止め、長男(第三子)が幼稚園に通うようになつてから、伊奈中央病院に勤務するようになつた。
原告は、毛呂病院大宮分院に入院当時、「お腹がビビッとなる。交通事故の相手は死んだらしい。先生が手術をするから直ぐ来いと言つている。肝臓が爆発して、血が出ている。」などと叫びながら机を叩いたりして、情動不安定の状態であつたが、精神科の担当医師訴外式場暁子は、原告の「お腹が痛い。」という訴え方が非常に奇妙なものであると看取した。
原告は、初診時から、「草加市立病院の外科の先生がわたしを呼んでいる。早く行かないと死んでしまう。手術に遅れてしまう。」などと言つていたが、その幻聴は昭和五五年三月ころまで続いた。
式場医師は、交通事故発生後毛呂病院大宮分院入院時までの間にかなりの精神的な打撃があつたものと推測し、事故が大きな要因であつたものと考えたが、入院中における原告の症状から見て、事故の体験と症状との間に主題的一貫性があるか否か疑問を持つようになり、更に退院後の経過から見て、事故と症状との間に主題的一貫性があるとは言い難いものと判断するに至つた。
(3) <証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
原告は、昭和五三年一二月一八日伊奈中央病院において結膜炎のため治療を受け、昭和五四年一月四日、五日、六日にも治療を受けたが、同月一三日同病院において腰痛・手足のしびれのため治療を受け、同月二七日、同年二月六日、同月二四日にも治療を受けた。
次いで、原告は、原告車の操作を誤つて発進させ、右腕に打撲傷を負つて、同年三月一七日同病院で治療を受け、同月一九日、二二日、二三日、二四日、二六日とその治療を受けた。
(4) そこで、以上の事実に基づいて考えるに、<証拠>によれば、原告の精神分裂病は内因性の精神病に属するものであるところ、一般に精神分裂病の発病の原因については、これを決定付けるものが発見されていない事実を認めることができる。そのため(1)の記述にあるように、精神分裂病については、諸種の要因が有機的に結びついて発病に関与するものと考えられ、そのうち発病に直接かかわる要因として心理的体験や身体的契機があるというのである。
ところで、原告は、伊奈中央病院に入院した時から腹痛を訴え、以後長期間にわたつて腹痛を訴え続けたのであるが、伊奈中央病院、新井病院及び草加市立病院では各種の精密検査を施行し、投薬等を試みて治療を重ねたものの、腹痛の原因を的確に把握することはできず、治療の効果を挙げることもできなかつた。他方、原告は、前記認定の経過に照らしても、ほとんど時日を置かないで入通院及び転医を繰り返し、神経質に過ぎるといえるほどに医師の診察・検査・治療等を求めていたのであつて、これによれば、原告の腹痛の訴えは、多分に心理的な原因に根差したところから発生していたものと推測することができる。
また、毛呂病院大宮分院の担当医は、当初事故と症状との間に主題的一貫性があると考えたが、時日が経過するにつれて、両者の間に主題的一貫性があるとは言い難いと判断して、見解を変えた上、証人尋問において、「事故に遭つたこと自体が分裂病の原因になつたと断定することはできない。」と証言している。
したがつて、交通事故による衝突の衝撃は、原告に右季肋部打撲傷を負わせ、これによる腹部の癒痛が原告の精神分裂病の発病について動機又は誘因となつたものと認めることはできないではないのであるが、原告自身には分裂病に罹患する内因的な素因が潜在していて、それが刺激を受けた後、諸種の検査・治療等を反覆して受けながら経過するうちに増幅され、事故後七、八箇月を経て顕在化するに至つたものと認めるのが相当である。
してみれば、事故は、精神分裂病の発病を誘発するに至つた条件の一つになつたものと認めることはできても、分裂病の原因になつたものと認めることは相当でないのであるから、この意味において、事故と原告の精神分裂病との間に相当因果関係があるものと認めるのは相当でないというべきである。
(三) 伊奈中央病院及び新井病院
原告が伊奈中央病院に入院して治療を受け、新井病院に入院して検査を受けた傷病については、いずれも事故との間に相当因果関係があるものと認めるのが相当である。
しかし、原告が伊奈中央病院に通院して治療を受けた傷病については、それが新井病院において「内臓には異常がない。」と診断された後のものである点、及び多分に原告の心理的な原因に根差したものと推測することができる点から見て、いずれも事故との間に相当因果関係があるものと認めるのは相当でない。<証拠>によれば、原告の受傷した右季肋部打撲は、二九日間の入院中に治癒したものと認めることができる。
三責任原因
1 事故の態様は、前記一の2に認定したとおりである。
2 原告が原告車の方向指示器を左折に作動させていたか否かを検討する。
(一) <証拠>によれば、事故発生の日の午前九時三〇分から行われた実況見分の際、原告車の方向指示器のスイッチは、左折を指示する状態に操作されたままになつていた事実を認めることができる。
(二) <証拠>によれば、原告は、自宅から伊奈中央病院まで通勤するのに、日ごろ原告車を利用し、自宅から同病院へ向かう際には、中華そば屋「金来軒」の前で左折した後、関根商店の前で右折し、そのまま北方へ直進して事故発生場所の交差点を通過していた事実を認めることができる。
(三) 被告は、「原告が原告車の方向指示器を左折に作動させたまま交差点を直進しようとした。」と供述しているが、原告は、「原告車の方向指示器を左折に作動させたことはなかつた。」と供述している。
(四) ところで、<書証>には、「方向指示器については、左にスイッチが入れたままであつた。」と記載されているが、実況見分の際その状態で方向指示器が点滅していたか否かについては記載がなく、被告も、この点について何も供述していないし、事故によつて方向指示器が損壊したとの事実を認めるに足りる証拠もない。
また、方向指示器のスイッチは、原告の上半身が衝突の衝撃で前方へ移動した際、左折の状態に動かされたかも知れないと推測し得る余地がある。
(五) 他方、<証拠>によれば、原告は、事故当時合羽を着て原告車を運転していた上、原告車の前部に風防板が設けられていたので、方向指示器が点滅しているか否かを確かめるのに不便な状況にあつた事実を認めることができる。
(六) したがつて、原告と被告の供述のいずれを信用すべきであるのか、容易には判定し得ないのであるが、(一)に認定した事実から直ちに方向指示器が左折に作動していたものと断定するのは困難であるし、これに被告の供述を加えて検討しても、方向指示器が左折に作動していたとの事実を認定するのには十分でないものというほかない。
3 <証拠>によれば、被告は、左右の安全を確認すべく、徐行して交差点に進入しかけたころ、右方約一五メートルの地点に道路左側を進行してきた原告車を発見した事実を認めることができる。
したがつて、被告は、その場で直ちに被告車を停止させて、原告車の動静を注視し、優先道路を進行中の原告車を通過させた後に右折を開始すべき義務があつたのに、これを怠り、原告車の動静を確かめないまま、右折を開始すべく被告車を交差点に進入させたのであるから、被告には事故の発生について過失があつたものと認めるべきである。
四原告の過失
原告が原告車の方向指示器を左折に作動させていたとの事実を認めるに足りる証拠がないことは、前記三の2に認定・説示したとおりである。
原告は、事故が発生するに至つた経緯について詳しい事情を供述していないのであるが、原告が優先道路の左側を時速約二五キロメートルで直進していたことに照らせば、原告に事故の発生について過失があつたと認めるのは相当でないものというべきである。
五損害
1 休業損害
(一) 原告は、昭和五五年一〇月三一日までの休業による損害の賠償を請求しているが、前記認定・説示のとおり事故との間に相当因果関係の認められる傷病は、昭和五四年八月一五日までの間に治癒したものと認めることができるのであるから、その後の新井病院における入院検査等を考慮に入れても、事故との間に相当因果関係のある休業期間としては、せいぜい二箇月の限度において認めるのが相当である。
(二) <証拠>によれば、原告が伊奈中央病院から支払を受けた給料は、昭和五四年四月に一三万八三五五円、五月に一四万八六五四円、六月に一五万九七九四円であつた事実を認めることができる。右の平均額は一四万八九三四円である。
(三) そこで、原告の休業損害としては、三〇万円の限度において認容するのが相当である。
2 後遺症による逸失利益
原告は、精神分裂病の後遺症が残つたとして逸失利益の賠償を請求しているが、前記認定・説示のとおり原告の精神分裂病は、事故との間に相当因果関係があるものと認めることのできないものであるから、原告が精神分裂病に罹患したことを根拠として逸失利益の賠償を請求するのは、失当なものというほかない。
3 慰謝料
事故の態様及び原告の傷害の内容は、前記認定・説示のとおりである。
そこで、原告の精神的苦痛を慰謝するに足りる賠償額としては、七〇万円の限度において認容するのが相当である。
六過失相殺
被告は、過失相殺をすべきであると主張しているが、前記認定・説示のとおり原告に過失があつたと認めるのは相当でないのであるから、被告の過失相殺の主張は失当である。
七損害の填補
被告が原告に対し休業損害として三〇万円を支払つた事実は、当事者間に争いがない。
したがつて、前記五の1の休業損害は、これによつて填補されたものというべきである。
八そうすると、原告の本訴請求は、被告に対し慰謝料七〇万円及びこれに対する不法行為の日の昭和五四年七月一八日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であるから、これを認容すべきであり、その余は不当であるから、これを棄却すべきである。<以下、省略>(加藤一隆)